施設の概要

About

武家屋敷は、主屋、長屋門・塀などからなり、江戸期の面影を今に伝えています。塩見縄手の名前の由来となったとされる塩見小兵衛も住んだ屋敷で、500~1,000石程度の藩士が屋敷替えによって入れ替わり住んでいました。
1733年(享保18年)の大火で焼失後再建されたもので、主屋はその後も幾度かの増改築を経ています。2016年度から3カ年に及ぶ保存修理工事において、解体調査や資料調査により明らかとなった明治期の図面をもとに復元しました。
主屋はおよそ67坪で、表側である式台玄関(来客用玄関)から座敷に至る部分と、裏側である私生活の部分では造りも材料も特に区別がされ、武家の公私の別の厳しさを示しています。また、築山式の庭園は、飾りを省いた素朴なつくりで、質実剛健の気風がうかがえます。

塀の写真
外観の写真

明治以降の住人は瀧川(たきがわ)家であり、『史記会註考証』の著者である漢文学者瀧川亀太郎(号君山)の碑が庭内に建っています。

土間の写真
瀧川亀太郎の碑の写真